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テオドール・オイスタッハ (プファルツ=ズルツバッハ公) : ミニ英和和英辞書
テオドール・オイスタッハ (プファルツ=ズルツバッハ公)[こう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [こう]
  1. (n,suf) prince 2. lord 3. duke 4. public 5. daimyo 6. companion 7. subordinate

テオドール・オイスタッハ (プファルツ=ズルツバッハ公) : ウィキペディア日本語版
テオドール・オイスタッハ (プファルツ=ズルツバッハ公)[こう]
テオドール・オイスタッハ(Theodor Eustach, 1659年2月14日 - 1732年7月11日)は、プファルツ=ズルツバッハ公クリスティアン・アウグストとナッサウ=ジーゲン伯ヨハン7世の娘アマーリエの子。
後継者は初め長男のヨーゼフ・カールに決まっていた。1716年又従弟に当たるプファルツ選帝侯カール3世フィリップの後継者にも決まり、カール3世フィリップの娘エリーザベト・アウグステ・ゾフィーと結婚したが、1728年にエリーザベトが、翌1729年にヨーゼフ・カールも急死したため、次男のヨハン・クリスティアンを後継者に指名した。
1732年にテオドール・オイスタッハ、1733年にヨハン・クリスティアン、1743年にカール3世フィリップがそれぞれ亡くなり、ズルツバッハ公とプファルツ選帝侯はヨハン・クリスティアンの子カール・テオドールが継承した。カール・テオドールはヨーゼフ・カールとエリーザベトの娘エリーザベト・アウグステと結婚している。
== 子女 ==
1692年、ヘッセン=ローテンブルク方伯ヴィルヘルム1世の娘エレオノーレ・マリー・アマーリアと結婚した。
*アマーリア・アウグスタ・マリア・アンナ(1693年 - 1762年) - 修道女
*ヨーゼフ・カール(1694年 - 1729年)
*フランツィスカ・クリスティーネ(1696年 - 1776年)
*エルネスティーネ・エリーザベト・ヨハンナ(1697年 - 1775年) - ヘッセン=ヴァンフリート=ラインフェルス方伯ヴィルヘルム2世と結婚。
*ヨハン・ヴィルヘルム・フィリップ(1698年 - 1699年)
*ヨハン・クリスティアン(1700年 - 1733年) - プファルツ=ズルツバッハ公。プファルツ選帝侯、後にバイエルン選帝侯となるカール・テオドールの父。
*エリーザベト・エレオノーレ・アウグスタ(1702年 - 1704年)
*アンナ・クリスティーネ・ルイーゼ(1704年 - 1723年)- 後のサルデーニャカルロ・エマヌエーレ3世と結婚。
*ヨハン・ヴィルヘルム・アウグスト(1706年 - 1708年)



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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